チャンナオ日記

思いついたことと、わかったことと、こうありたいと思うことを、忘れないように書くことにしました。

東田子の浦にて

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いま東海道線を浜松方面に向かっています。(こちらは身延線の写真です)途中、東田子の浦駅に停車しました。4年ほど前に東京の多摩市からここを目指してきたことがあります。

なぜか。

青春18きっぷが1枚だけ余っていたから。なんとなく、富士山がよく見えそうだったから。

田子の浦 うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

そして、暇だった妹もついてきました。青春18きっぷ、持ってないのに!

どうだったかというと、妹が来てくれたおかげもあり、たのしかったです。絶景うわー!とか、新鮮なお刺身を食べたー!という楽しさでは、なく。

5時間くらいかけて乗り継いで到着しても何もなく、とりあえずネットで探した定食屋さんがあるほうへ道路の横みたいな道を歩く。1月だったから雪がまばらで田んぼがあるような道でした。富士山は、すごく大きくきれいに見えた!大きすぎて生き物みたいだった。それくらいの存在感だった。

無事に定食屋さんに到着してかき揚げ定食などを食べて帰路へ。


これはすごくよく覚えているんですよね。

思えば、仕事を辞めて半年無職をしていたあたりから、妙に覚えていることがあります。高校の頃とかのことは驚く程覚えてないのに。経っている時間が違うから当たり前かもしれませんが、それだけではないかな。

以前よりもずっと自分で考えて選択するようになったからかなと思います。できるようになった、というほうが近いかな。


これと同時に思い出すことが。

妹は18きっぷ持っていなかったから、私の倍以上の運賃をかけてこんなへんな?旅をしたんですよね。「あのとき18きっぷを一回分とっておいてあげればよかった」って、思い出します。

最近気がついたのですが、

いやでも、妹は自分で選んでそうしたわけだし、自分で稼いだお金を自分の望むように使うことはとても自然でいいことで。そこに損も得もないなと。後悔してるのは私の勝手でしかないな。

あと10分行った先のスーパーでは108円で買えるポカリが、今目の前の自動販売機で160円でもめちゃくちゃ喉乾いてたら、今買うのが一番ありがたく一番うまいよね。

「あの子は楽しんでくれたのだろうか」と思うこと

先日、大学の友人こぱちゃんが

小田原に遊びに来てくれました!


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古民家の壁ぬりなどをしている〜という私のfacebookを見て、「作業あったらやるよ!力仕事も!」と言ってくれました。

「なんてありがたい!でも壁は塗り終わったからどうしようかなぁ」と思っていたら、、、閃きまして!そうだ、ホームページ用におうちの写真を撮っていただきたい!!

こぱちゃんはプロのカメラマンなんです笑

快く、引き受けてくれてありがとう。

 

当日は気持ちのいい秋晴れ!

こぱちゃんは我々のおうちもとても気に入ってくれて、私には思いつかない素敵な角度で写真を撮ってくれました。出来上がりがとっても楽しみです。

こぱちゃんは小田原に来るのは久しぶりで、撮影が終わった後少し案内がしたいなぁと、かまぼこ通りとなりわい交流館とゲストハウスGoodtripさんのバー(1Fは誰でもお酒が飲める)に一緒に行きました。

 

で、こぱちゃんを小田原駅までお送りした後に猛烈に思ったのが、

「こぱちゃんは今回の小田原を楽しんでくれたのだろうか。。。」

「やっぱり雑貨屋(sent.)さんに連れて行きたかったなぁ」(私が営業時間を間違えてて行けなかった)と。

 

さらに、

「宿を始めたら人が来るたびにこんな、あの人は楽しかったんだろうかなんて心配していたら、気が持たない。私は大丈夫だろうか」「お宿をやっていらっしゃるみなさんはすごいなぁ」とまで思いました。

 

そんな不安定な気持ちは、彼と「楽しかったね」と言い合ったことと、こぱちゃんから「楽しかった」というメッセージが返ってきたことでおよそ解消されましたが。

 

普段は私は

「相手の気持ちなんてわからないのだから、でもだからこそ相手の気持ちを今の自分にできる分だけ最大限慮って、行動したり喋ったりするしかない。それをどう受け取るかはもう相手次第なんだから、あとは本人がどう処理するかというところで、バトンは相手に渡ってる。自分なりに反省するけどね。」

って思ってるし、そう言ってるんだけど。

いざ自分が心配を始めるとそう思うように割り切れないものでございました。

 

あとは

「自分が楽しかったら相手も楽しいはず!」

これも前からそう思っています。これを信じてやっていくしかないかな。笑

 

こぱちゃんきてくれてありがとう。

写真、楽しみ!!

本当に笑いたいときに

顔のマッサージをしてもらいまして、

「作り笑いばかりしててそんなふうに顔の筋肉使ってると、本当に素敵に笑えるときに笑えなくなるよ」

とセラピストの方に言われて、おぉ。。。と思いました。

 

そうは言っても、私は接客の仕事ですし。

接客の仕事じゃなくても、誰かと働く以上、意図して作った笑顔というのは必要で。少なくとも私には。

 

でも、確かに最近変な顔してること多かったなぁと思います。変な顔っていうのは、顔の筋肉が固い感じ、能面かぶってる感じ、気持ちが落ち込む感じで、緩く笑えない感じ。

そういうの、あります?

そういう顔になってしまうのは、自分の心持ちの現れでもあるので、「あーいまは、こんなコンディションなんだな、どうしようかなぁ」と焦らずとりあえず自覚するのが一番良い。なんとかすぐ取り戻そうとすると、しんどい。

 

引きつった笑い方に、なってませんか。

ちゃんと、ふわっと、笑えてますか。

そんなことがなかなか難しいかもしれませんが、そんなこと言わずに、なんとかやりましょう。自分の内面は、必ず外見で引き取るようになってるようですよ。

 

ふわっと!^_^

 

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人を試そうとしない

「何か腹がたつことがあっても、相手を試すようなことはできるだけしてはいけない

そうすることで自分の気持ちを言葉にすることから逃げたらいけない」

 

って思いました。

これは自分で考えました。

 

くそう、腹が立つ!こらしめてやりたい!と思ったときに。

自分が腹が立った分、必要以上に意地悪なこと言いたい。「もうやめてやる!」などと言ったらどうなるかなと思う。挙げ句の果てには過去の苛々したことを掘り返したくなったりする。

でも、それは、しないでおこう。

 

怒りは、自分でコントロール可能な感情だと思っています。(アドラー心理学から)

相手を手っ取り早く言いくるめたい、自分の気持ちをわかってほしいために使う手段。

 

言葉で話したらわかるかもしれないのに、

(そうじゃない場合もあると思います。)

自分の気持ちを説明しようともせずに、

一方的な手段に出るのは、なんか、悔しい。

 

気持ちなんてうまく説明できないけど、でもそれでも、自分の気持ちを言語化や何かで表現しようとすることで、自分に向き合う作業になる気がする。時間がかかってもいいから、その作業をごまかさないほうがいい気がする。

 

但し、言葉で言ってもぜんぜんわかんねぇ相手だったら別です。ブログを書いて思いましたが、できるだけ説得力を持たせたいので断言して書きますが、「こういうときは、もちろんちがうよ?わかってくれるよね?」としょっちゅう思います。断言するのはとてもむずかしい。だからみんな曖昧な言い方する。

曖昧でもなく、これはほんとうのことだなぁと思えることを言っている人は本当にいいなぁと思います。

 

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仕事に上も下もない

上司とか部下とか、

上場企業とか下請けとか、

言葉の上で上とか下とかは使うけど、根本的な意味では上も下もない。この仕事はこれより偉いとか、この仕事はこれより地位が高いとかそういうのはない。

だからこの仕事はえらいとかえらくないとか、上だとか下だとか言わないでほしい。

 

1ヶ月で稼ぐお金の差はあるし、働く時間も差があるし、成果も出る出ないとか、昇給するしないとかそういうのはある。でも上とか下とかじゃない。

 

仕事の時間に制限がある人はそれ以外でわたしが思いつかないようなことをしているかもしれない。

工事とか体を使う仕事をしている人はパソコンでプログラミングができないとしても、パソコンでプログラミングをする仕事をしている人は体を使う仕事はとてもしんどいと思う。

 

上も下もなく、

あるのは、そのひとがどんなふうに仕事の時間を過ごしてるのか、仕事を大切にしているか、責任をもつことができているか、仕事との向き合い方だけだと思う。

仕事との向き合い方は、自分の時間との向き合い方とほとんど同じだと思う。

 

若輩者が偉そうに申しましたが、

みなさま毎日おつかれさまです。

 

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頭がいいとは、頭が悪いとは

勉強の点数が良くても、

仕事になると「なんでこんなのもわかんないんじゃー!」と思う方もいれば、 

点数が良くなくても、

立ち振る舞いや言うこと為すことにセンスがある方もいる。

 

勉強できるできない、

頭が良い悪い、

仕事のできるできない、

とはじゃあ一体なにか。

 

見城徹さんの言葉がたいへんしっくりきました。

「他者への想像力がゼロなんだ、

   はっきり言う、

   頭が悪いんだよ」

 

見城徹さんはこの人の言ってることは本当だよなぁと思う方の1人です。あとは堀江貴文さんと、蝶々と、五味太郎さんと、ヒビノケイコさん。

 

たとえば、

悪い人じゃないんだけど、周りが見えていない仕事の仕方で、かえってまわりのやることを増やしてくる、コノヤロウ!と思っていた店長とか。

いい子なんだけど、自分の話ばっかりする、自分中心な仕事の仕方をする、頭悪いなぁと思ってた先輩とか。

 

嫌いじゃないけど頭良くないと思う人たち、

共通事項は、

「他の人の立場になることができてない」

だった。

自分が、思考の一番先に来ちゃうから、自分というものが邪魔して、周囲に対してトンチンカンになるんだ。

ということが発見でした🤷‍♂️

 

自分がどうかと言われたら、ふだんは頭良いかなって思うけど、たいへん悪いこともありますので、がんばりますので大目に見てほしいと思います。🤷‍♂️

 

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親はえらいか、社長はえらいか

お母さんだから、人格者というわけじゃない

お父さんだから、尊敬できるわけじゃない

社長だから、正しいわけじゃない

 

ということが、わかってきて。

でもじゃあなんだって言ったら、

お母さんだからじゃなくて、その人が素敵なのはその人が本人なりに考えて動いてやってきた結晶みたいなもので、役割や肩書きとは関係があるようでないこともある。ということだと思う。その人の生き様の結晶。

だから、お母さんだからいうことが正しい、社長だからえらい、とは思わなくてもいいと思う、お母さんや社長が言うことでも、自分がそう思わないことは、そう思わないんだから仕方ない。

※たとえで、お母さんとか社長とか言ってるけど、よく言われる「目上の人」という意味で捉えてほしい。

 

でも「じゃあこの人は申し訳ないけどぜんぜん尊敬できないなぁ」という目上の人。

その人をないがしろに思っていいか、というとそれもなんだか、素敵じゃない気がする。

でも人間としてえらいところがあんまり見つからない。

 そこでどうするか、

 

年上の方については

「自分より長く生きていて、えらい」

仕事の先輩については

「自分より長く仕事をしてきて、えらい」

どんな考え方でも、仕事があんまりできなくても、とりあえず生きてきた、ということはそれなりにタイヘンなことだと思う。悩んだり、疲れたなぁと思ったり、失敗をしたり、そういうのを自分よりも多い期間ガンバってきた人だ。と思えば、しっくりくるんじゃないか。

 

「あの人はなんであんなに自分勝手なんだ年上のくせに!。。。でも○年も私より多く生きてるからな、ガンバってるな。まあまあえらいのかな。くそう。」

 

という感じで、「オマエ年上のくせに!」と思ってイライラしてしまう自分に対策してみようと思います。できるかな。

 

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