地図を書くというよりもパズルのピーズを埋めている
いま生きていて、こうしたいああしたい、
これからどうしていこうとか、あるけど、
自分の地図を描いて行くというよりも、
完成したいパズルのピースを埋めている感覚に近いんじゃないか、って思った。
私として生まれてきて、こう、描きたいものがいろいろあって、でもそれはひとつの絵で、パズルになってる。ひとつひとつバラバラに見えてもそれはひとつで。
だから、全然関係ないところでも、いきなりつながったりする。
岡山で出会った福島出身の友人も、父が行っていた福島のボランティア施設に行ってたり、
弟の移住した久米島に、福島の子ども用の施設があったり、
先輩にオススメの本を聞いたら、以前父に勧められた本だったり、
長野のはるかちゃんが東京であったカメラマンこんちゃん、わたしはどちらも友だちだった。
本を読んで感動するときは、
ああ!これ思ってた思ってたけど、言語化できていなかったんだ!と思うことが多い。
新しいものを見つける、よりは、
自分の中にあったものを見つける、ような。
だから自分にあったパズルができあがるように、ちゃんとうそつかないでちゃんと見つけないと。
この考え方すてきじゃないかな?って思ったけど、どうかな笑